季節の便り
暑い暑い夏が来た。お日様がカンカンに照っていて、柿渋染めも布がかわいそうで、日中は干さない。今年は長野に来て、18年目だが、初めての暑さのような気がする。
たまらず扇風機を買いに行った。倉庫に使っている古い民家はさすがに涼しい。屋根のトタンの下に「ワラ」がしいてあるから、、、と聞いた。私の寝室(?)の土蔵も涼しい。夜は寒く、窓を開けて寝たことがない。日本の昔の建物は、手間をかけて作り、とても効率のよいように考えていることを実感した。この日照りを利用して、すぐに胡桃の木をチップにしてもらい、干し始めた。染めに使うのだが、カビないように乾燥させて保存する。チップ作りには最適のお日様のチカラだ。
ところで、先日ダライラマが長野に来て、講演会に行った。仏教信者ではないが、チベット密教は色々な意味でとても教えられることが多い。精神の持って行き方が少しづつ私にとって、身になり楽になってゆく。
「もともと自分という存在はない」という話に、一緒に行った娘が感銘(?)していた。でも、ほとんど自我で生きている自分、そして社会にとって、これを理解するのは大変なこと。
整体の先生も、川の流れにさおをさしているのが自分で、もともとないものなんだけれど社会的に必要だから、さおをさいているにすぎないとおっしゃっていた。さおはどこにさそうが自由、それを決めているのは自分、という話をしていた。身体のしくみの話を聞いたり、身体を動かしたりして、けいこしているが、早く、それに近づきたいものものです。
(2010年8月更新)
気がついたら、もう6月。いそがしく動いていてやっと久しぶりに落ち着いた日、きゃらぶきを作った。包丁で切るとプーンとふきの匂いに包まれる。てんぷらにするうども匂う。山菜はとても気持ちがいい。
今年は寒かったせいで、なかなか大きくならなかった、稲苗。先日、スタッフの協力の元、田植えがやっとできて、ホッとしている。畑も、夏野菜の苗をあちこちとさがして、やっとみつけて植えた。時期が遅かったがなんとか間に合った。
家に登る道すがら、畑に野良仕事するおじいちゃんや、おばあちゃんをみかけることも多くなった。なにか、山が動き出しているみたいだ。毎年、同じことをしているのですが、その度に気持ちよさを感じる。染めるためのフキをたくさん採った。明日フキを染めよう。
(2010年6月更新)
御柱祭
桜が咲き、山吹の花も咲いて、山が黄色、ピンク、みどりなど色々な色で、美しい季節にやっとなり、身体も思うように動き始めた。畑を耕したり、田んぼの苗の準備も始めた。それにやっと柿渋が染めれるお日様の「つよさ」になった。
きのう小川村の御柱祭があって見物しに行った。諏訪の御柱は有名、小川村も7年に1回観光でなく、村の行事として昔から行われてきた。皆、昔の衣装を身に付け、馬に乗ってゆっくり、ゆっくり歩き、切った大きな木を2本、皆で引いて、神社まで運んでゆく。特にその中で、面白いのは最後の集団が「ナガモチ」を長い木につるして、ギシギシとわざとしならせ、からだにリズムをとりながら歩いている姿だ。その音もなんともいえなく、身体に気持ちよい響きを与えてくれるのだが、歩き方など形が決まっている。日本の昔からの美意識に通じている「カタ」のすばらしさを感じた。村の知り合いばかりが演じている行列、とても今の日本に忘れている何かを感じて、久しぶりに身体がゾクゾクした。
(2010年5月更新)
今年は春になったと思ったら、大雪が降りとても変な気候だ。いつもならとっくに始まっている染めも今年は少ししかできないでいる。
野良のボタン作りがとても忙しくなっている。人気のボタンは虫もよう、竹の根。
ところが、竹の根の材料がなくなってきてしまった。今までは、住宅の造成地、道路工事現場で竹の根を掘り起こしているところを偶然見つけて、適当な長さに切って、ナタでヒゲ根を切り落とし、泥だらけになって運んだ。
どうしよう、、。掘るしかない。たまたま、きれいに竹を切った平らな竹林がみつかり、村のおじいちゃんと一緒に重機で掘り起こした。竹の根は地面のなかで、網の目のように張り巡らされている。泥つきで掘りあげてもらい、スコップで泥を落とす。竹の幹の根を掘るときは、重機が傾くほど。とても力強いので、大変な仕事だ。
「土の仕事は体の奥底が気持ちよくなるよ」と連れ合いが言う。私も畑で土をさわっていると気持ちよく、自分が白紙になる気がする。そんな感じかもしれない。
それに虫もようのボタン、これはかみきり虫の幼虫が、木を食べて成長してゆく時につける模様。人間が意図的に彫る線とはちがい、美しい。
虫が卵を産んでくれそうな場所に木をおいて、8月までまつ。確率は半分。虫の模様がついたものを、ドラム缶で火を焚いて煮て、それ以上食べるのをとめてしまう。面白い形を切り取って、ボタンに削り、漆を塗って完成。
連れ合いが材料をさがして作るのだが、本当に木が好きでないとできない。山の中に入って、ボタンの材料を探している姿はまさしく天職のような気がする。
(2010年4月更新)